「重森三玲記念館」に行った後、移築前の「天籟庵」があった重森三玲生家跡を訪れました。
アクセス
「重森三玲生家跡」へは「重森三玲記念館」から車で向かいました。
「重森三玲記念館」から「重森三玲生家跡」までは、県道307号経由で約1.4 km。
県道307号から細い道に左折して、少し進むと「重森三玲生家跡」の東側に造られた駐車場が見えてきます。
「重森三玲生家跡」入り口
駐車場
駐車場はさほど広くなく、収容台数は普通車数台ほどです。
駐車料金は無料です。
最寄り駅・近隣交通機関から
JR「岡山駅」から「県道72号」経由で約33.6 km
JR「備中高梁駅」から国道484号経由で約19.2 km
地図
重森三玲生家跡(松籟園庭園)
「重森三玲記念館」の近くには、重森三玲氏の処女作となる茶室「天籟庵」が移築前にあった氏の生家跡が残っています。
以前は荒廃していたようですが、国民文化祭が岡山県で行われた2010年に整備されたそうです。
移築された「天籟庵」の茶庭として作庭された枯山水庭園「松籟園庭園」が敷地内の一角にあります。
「重森三玲生家跡」は広場になっていて、いくつかの説明版の他、屋根のついた休憩所があります。
「重森三玲生家跡」は、金色の稲穂がたなびく田園風景の中にありました。
重森三玲氏が生まれた岡山県吉備中央町は今でこそ道が通り交通アクセスが良くなりましたが、むかしは道路状況も良くなく不便な地であったといいます。
氏が生きた時代には、これよりもさらに牧歌的な農村風景が広がっていたのではないでしょうか。
その環境で育った下地を持つ重森三玲氏が造園に携わり、多くの名園を残していることを考えると日本庭園の芸術性とは自然と其処で営まれる人の生活に根ざしているのかもしれません。
「重森三玲生家跡」からの眺め
松籟園庭園
大正14年(1925)まだ造園を専門にしていなかった若き日の重森三玲氏が京都「大徳寺大仙院」の枯山水庭園を参考にして作庭したそうです。
「松籟園庭園」は 庭園最奥部に枯滝石組が組まれ、大仙院庭園の不動観音石を思わせるような立石を主体として構成された庭園です。
その下部には橋石が架かり、大きな曲線を持った枯れ流れが建物に向かって流れています。
流れには、川上りと川下りの二つの舟石が据えられ、入船と出船を表現しています 。
植栽もわずかで敷石もない現在の姿からは往時の光景を想像することしかできませんが、庭園に精通した方ならば多くの情報を得られるのではないでしょうか。
まとめ
今は重森三玲生家跡としてかつての痕跡を残すのみですが、氏の足跡をたどる上で大きな意味がある場所だと思います。
最初この場所に建てられた「天籟庵」が移築されている「重森三玲記念館」は徒歩30分程の場所にあるので、散策コースに組み入れて併せてめぐることもできます。
重森三玲記念館で若き日の三玲氏が設計した「天籟庵茶室」を見てきました。
また重森三玲氏の出身地である岡山県吉備中央町の役場には、氏の作庭した友琳の庭が移築されています。
基本情報
所在地
岡山県加賀郡吉備中央町吉川
料金
無料
関連サイト
写真撮影日
2018年