東京都世田谷区にある「次大夫堀公園民家園」に行ってきました。
アクセス
「次大夫堀公園民家園」には、JR「成城学園前駅」から徒歩で向かいました。
まず「成城学園前駅」を出て成城通りに進みます。
成城通りをまっすぐ歩き、野川を渡ると「次大夫堀公園民家園」の案内があります。
案内に従って右折すると「次大夫堀公園民家園」に到着します。
JR「成城学園前駅」から「次大夫堀公園民家園」まで徒歩20分程です。
駐車場
「次大夫堀公園民家園」の前に有料駐車場があります。(30分100円)
午前9時から午後5時まで。(元日は午後4時まで)
収容台数30台。(大・中型車が駐車する場合、普通車は10台程度となります)
最寄り駅・近隣交通機関から
- JR「成城学園前駅」から「次大夫堀公園民家園」までは成城通りを経由して約1.3 kmです。
- 小田急・東急バス「成城学園前駅」南口から「二子玉川駅」行きに乗車、「次大夫堀公園前」バス停または「砧中学校下」バス停で下車をして徒歩2分。
地図
次大夫堀公園民家園
「次大夫堀公園民家園」は、江戸時代後期から明治時代初期にかけての農村風景を再現した世田谷区立の公園です。
開園は、昭和63年(1988年)11月。
戦国時代に生まれ、江戸時代初期の代官および用水奉行であった小泉次大夫が公園の名前の由来です。
建築物として名主屋敷(主屋1棟、土蔵2棟)や民家(2棟)、表門、消防小屋が復元されています。
また、次大夫堀や水田などの農業施設も復元されています。
次大夫堀公園民家園の景観
水田
民家園入口から延びる遊歩道の脇には、水田が造られていました。
次大夫堀
「次大夫堀」は稲毛・川崎領(現在の神奈川県川崎市)の代官であった小泉次大夫の指揮により、慶長2年(1597)から15年の歳月をかけて開発された農業用水の一部です。
正式な名称は六郷用水。
昭和初期までは周辺農地などに使われていましたが、現在大半は埋められたか雨水用の下水に転用されています。
公園内には、約600mの流路が復元されています。
緩やかに水が流れ両岸に湿性植物が生える小川は、まさに田舎の里山で見られる風景です。
自分が訪れた時には、川端で何人もの子供がザリガニ釣りをしていました。
まるで、昭和にタイムスリップしたかのような光景でした。
民家園正門
次大夫堀の小川沿いを歩いて行くと、民家園正門が見えてきます。
民家園正門の前には、トイレがありました。
園内の景観
園内に入ると、まるで昔の農村にタイムスリップしたかのような光景が広がっていました。
旧城田家
民家園のほぼ中心にある、「さかや」と書かれている家屋が旧城田家の住宅です。
主要な道が交わる場所に建っていたこの家は、農業と商いを営む半農半商の家でした。
家づくりにも町屋で見られる店づくりの形式が多く取り入れられています。
創建年代は弘化3年(1846)以前と考えられています。
旧安藤家住宅主屋および内倉
江戸時代初期に達られた旧大蔵村の名主家で、世田谷区指定有形文化財に指定されています。
式台をはじめ名主の役宅を兼ね備えた間取りは、内倉のつく八間取り形式です。
内倉は外倉として建てられていたものを、内倉に転用して復元されています。
旧秋山家住宅土蔵
旧安藤家住宅のすぐそばに建てられている土蔵です。
文政13(1830)年頃に建てられた土蔵です。
土蔵造りは火災に強い構造となっています。
消防小屋と火の見やぐら
櫓の半鐘は、かつて宇奈根地区で使われていたものだそうです。
旧加藤家住宅主屋
江戸所代後期にみられる典型的な農家の間取り形式(形成四つ間取り)をもちます。
家の内外には、養蚕を行うための造りが多くなされています。
庭には水屋もありました。
ちなみに庭の垣根は、お茶の木で造られていました。
さすが昔の農家は合理的です。
旧谷岡家住宅表門
天保9年(1838)に建てられたものです。
この門の穀倉と納屋は、それぞれ別棟だったものを天保9年に門構えをくわえ一棟の長屋門としています。
門の位置は、街道を再現した道に沿って造られています。
まとめ
「次大夫堀公園民家園」は、主に江戸後期の建物が移築復元されている公園です。
都内にあって映画や時代劇で見たような農村風景を見られます。
入園料が無料なのもうれしい所です。
基本情報
所在地
〒157-0067 東京都世田谷区喜多見5丁目27−14
料金
無料
お問い合わせ先
03-3417-8492
開園時間
午前9時30分~午後4時30分(元日は午前10時~午後3時30分)
休園日
毎週月曜日(月曜日が祝日・休日にあたるときは、その翌日が休園日になります)。
年末・年始(12月28日~12月31日、1月2日~1月4日)。
関連サイト
次大夫堀公園(じだゆうぼりこうえん) | 世田谷区ホームページ
写真撮影日
2020年8月
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